福岡県西方沖地震

生まれて初めて、あんな揺れを体験しました。
人生で、地震を感じた経験自体が、今まで30年で3回しかありませんでした。
それでもせいぜい震度2程度で・・・
 
日曜の朝、11時前、出かけようかと2階で一人でお化粧中に、
グラグラと来だして・・・
  
最初は、前の道にトラックでも通っているのかと思ったけど、
だんだん揺れが激しくなり、しかも続くので、
「やばい!地震!」
と、ドアに駆け寄り、退路を確保。
棚などが倒れてこない壁にへばりついて、収まるのをひたすら息を殺して待つ。
 
だんだん、激しくなって・・・
だんだん、ピークを過ぎて揺れが小さくなってゆく・・・ 
 
と。まだ揺れているのに、ドタドタ階下から駆け寄ってくる足音が!
「私は大丈夫。動かないで!」と叫びました。
心配したオット君が、慌てて私のところに来ようとしていたのでした。
 
いざと言うときに、自分のことよりも私のことを心配して助けに来てくれるんだな・・・
と、心からその心意気に感謝と感動。
同居している母は、近くにいた父のほうに助けを求めようと手を延ばしたら、
スッと通り抜けて、父は自分だけ比較的安全といわれているお風呂場に行ってしまったらしい。
そんな人です。私の父は。
 
報道でも随分言われているけど、福岡の人は「福岡は安全な場所だから安心」と
心底思っている。各地で地震があっても、「ここだけはないだろう」と安心しきってた。
今、「救命病棟24時」というドラマがあっている。東京に大地震が来たという内容。
それを毎週見ながら、日頃の備えがいかに大切かを警告されまくっていたのに
「怖いよね」「ほんと、怖いよね」と思いながらも、「福岡にはないとは思うけど」と
信じてた。
 
今回の被害は、我が家の場合は、香水のビンが倒れた・コップが2つだけ割れた
本が数冊本棚から落ちた・・・それだけ。
報道で見ると、一番被害の大きい玄界島の写真や映像だけがクローズアップされるので
よその地域の人は福岡中があんな大惨事だったと思っているかもしれない。
でも、我が家の周りやほとんどの地域では、今見て回っても地震があったとは分からない程度の被害で済んでいる。
マンションの高層の人たちは、食器棚・本棚・テレビなど散乱して大変な状況らしい。
ほんの15分ほど海のほうへ車を走らせれば、瓦や塀が落ちた家・液状化した地面もある。
もちろん、玄界島の人たちは中越地震クラスの被害にあって、今も大変な避難生活だ。
何が言いたいか分からないけれど、
私の周囲では、心底恐ろしいと思ったけれど、実害が大きくなく済んで、
本当に不幸中の幸いなのだ。
被害はほとんどないけど、「福岡も例外ではない」「福岡でもきちんと備えていることが大切」だと、身をもって知ることが出来たことを、幸せに感じないといけないと思う。
このぐらいないと、私たち福岡人は分からなかっただろうと思う。
 
たったこれぐらいの被害でも、地震から5日たった今でも、余震は続く。
ちょっと体感する程度の揺れでも、心臓がキュッと縮まるぐらいに怖い思いをする。
夜になると安心して熟睡できない。
家で寝ていてもそう。目に見えない精神的なストレスは、非常に大きいようだ。
まして、これが家を失い、避難場所で過ごし、余震でも震度4以上を体験している人たちの
ストレス・不安を思うと、たまらない。
家で眠れるだけでも幸せなのだ。
我が家では余震があっても震度2程度。1日に体感できるのは10回未満。
それでも、1日も早くおさまって欲しい。